重症心身障がいのこと
重度の障がいがある子を対象とした福祉が正式な制度として始まったのは昭和36年にさかのぼります。それまで、病院でしか生活の場がなかった長期入院中の障がい児の行き場として全国初の重症心身障害児施設「島田療育園」が東京に誕生したのです。重い知的障害や重い肢体不自由などを合併するその子どもたちのための施設は同じ頃東京の「秋津療育園」滋賀の「びわこ学園」でもスタートしました。
昭和54年には全国に障がいのある子も通える特別支援学校・学級などの整備が終わり、どの子も教育を受けられるようになりました。それまで子どもの時から家を離れ施設で暮らすことの多かった障がい児も、徐々に家で生活することが普通になり、現在ではほとんどの子どもが障がいがあっても自宅で家族と暮らすスタイルが定着してきました。
多くの子どもが特別支援教育を受け高校程度を卒業します。その後、地域の通所施設などを利用しながら街で生活することが出来るようになってきました。親御さんが高齢となり施設に入所される方もいますが、その施設も昔とは違い地域と様々な交流をしながら生活をしています。
ここ神奈川県には約3000人程度の重症心身障がいの方が生活をしています。そして、その生活をより豊かにいきいきとしたものにしてゆこうと多くのスタッフが施設で働いています、さらに地元や遠方からのボランティアの方たちも施設を訪れてくれたり、利用者が地域にでるときに一緒に過ごしてくださったりしています。
障がいのあることは不便な面はあるけれども不幸と決められたわけではありません。家族やスタッフ、ボランティアや街の人々とふれあいながら普通に楽しい人生を歩むことを目標にしています。
皆さんがこのホームページをご覧になって、少しでも関心を持っていただき、障がいのある方の作品などを知っていただき、またボランティアとして参加していただくきっかけになればと思います。そして、もしお仕事としてそのような施設で働いてみたいと思われたかたがいらっしゃったら、お近くの施設にご連絡を下さい。
障がいの定義
障がいには医学的な定義と社会的な定義があります。医学的な定義は「ある人が病気になって、完全に治りきれなかった場合に、その戻らなかった部分を障がいと呼ぶ」というものです。これはその人の性質に付けられた名称で、「マヒが残り歩くことができない」「知的障がいが残り、流暢におしゃべりすることができない」というようにその人の性質に注目した定義です。この障がいは取り除くこと、治すことが難しいことが多いとされます。
それに対して社会的な定義は「ある人が世の中で生きて行こうとするときに、社会の側にまだその準備が整っていない状態を障がいと呼ぶ」というものです。これは社会制度や構造に着目した名称で「エレベーターが無いのであの駅は利用できない」「対応してくれる人がいないから耳の不自由な人がコミュニケーションが取りづらい」というように構造や制度の不十分さを指します。この定義の障がいは努力すれば、あるいは工夫すれば乗り越えることができる障がいです。
この社会的な定義の障がいの多くは人の力と智恵で乗り越えることができます。人の力は大したもので、そのような仲間と一緒に困難を乗り越える瞬間に「生きがい」「やりがい」「しあわせ」を感じることができます。もちろん解決にはお金がかかることも有りますが、そのようなことを市や町に働きかけたり、募金を募ったりする努力もまた人の力です。
療育(りょういく)
障がいのある子どもの医療と発育を支援する言葉として東京大学の高木憲次教授が作った言葉が療育です。その後障がい児に関わる医療や福祉の様々な場面でこの言葉は利用されてきました。障がいの定義に医学的定義と社会的定義がありますが、ちょうどその中庸を目指す言葉として、人生に希望を与える言葉です。
私達の施設の中にも◯◯療育センターといった名前がみられます。みんなで障がいのある子どもを囲んで励まし、支えるような場面が目に浮かびます。療育という合言葉でより多くの人々が寄り添えるとよいと思います。